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2012年更新
カテゴリ
教育学・心理学・哲学、中国哲学、比較思想
キーワード
『老子』の尚賢思想 『荀子』の「天人の分」 道家の「自然」 蓋天説

一言アピール

「自然」という言葉の意味を歴史的に考察してみると、現代の我々が如何にいい加減で自分に都合のいい使い方をしているのかが見えてきます。


研究テーマ

  1. 中国古代における本性論の展開
  2.  1970年代に発掘され、子思・孟軻の五行思想を伝えるとされてきた馬王堆漢墓帛書「五行篇」は、その後の研究で所謂「経」とそれに付けられた「注」とによって構成されていることが明らかになり、両者はほぼ同時に書かれたものであると考えられてきた。しかし、近年発掘された郭店楚墓竹簡「五行篇」は、帛書「五行篇」の「経」の部分のみに該当するものであったため、「経」と「注」との間に成立の時間差があることは疑い得ない事実となった。そして、「経」のみで「五行篇」を理解するなら、そこでは「仁・義・礼・智・聖」の五行があくまで後天的善行によって獲得されるものとして構想されていたことが確認される。すなわち、仁・義・礼・智を含む五行は、もともとが、人間の生まれながらにして持つ本性との関わりで説かれていたものではないのである。翻って考えてみれば、宋代以降の性善説の隆盛により、我々はややもすると先秦においても性善説が本性論の主流であったかのように誤解しがちである。しかしながら、実際に先秦の、そして漢代の文献を見る限りに於いて、当時、性善説はむしろ異端の思想であったと見る方が妥当のように思われるのである。 詳細資料
  3. 道家が使用した「自然」という言葉の意味を歴史的に探究する
  4.  『老子』の「自分自身でそうする」という、殆ど思想的意味を担わない「自然」、極言するなら未だ熟してすらいない可能性のある「自然」は、漢代の『淮南子』に至って、地方自治をその現実的指示とする「ありのままなる姿」という意味に変貌し、価値を伴った思想的タームとして確立されることになる。しかしながら、『淮南子』の「ありのままなる姿」が指示する現実、すなわち淮南王劉安の地方政権は、漢王朝によって無惨にも崩壊させられるべき運命を辿るものであった。一方、中央においては、国家を経営するイデオロギーとなった儒家の思想においても、その指示する内容は『淮南子』に類似した「自然」が使用されていた。とは言え、『淮南子』で価値有りとされていた「自然」は、董仲舒の『春秋繁露』においてはあまりよくないもの、あるいは価値以前のものとされていて、為政者による教化という加工が施されなければ意味をなさない、単なる素材とみなされていたのである。やがて後漢の時代になり、『論衡』で使用される「自然」は、儒家の呪術的天人関係の把握、天人相関思想を打破するという目的を担わされ、一層、その思想的深みを増すことになる。そこでは「自然無為」という四字熟語が誕生し、「自然」は初めて「無為」と同義の思想的タームとなった。この段階で仏教教理を「自然」によって解き明かす前提条件はすべて整ったのであり、やがて、仏教流入以後、「自性」を時に「自然」と表現するなど、「自然」の語の意味は新たな展開を示すことになる。 詳細資料

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著書

●『自然の探究』(三重大学出版会、2009)
●『有限と無限』(三重大学出版会、2006) <参考ページ>
●『情の探究』(三重大学出版会、2002)
●『同一性の探究』(三重学術出版会、1998)
●『魂の探究』(三重学術出版会、1995)
●『出三蔵記集序巻索引』(朋友書店、1991)
●『荀子・韓非子』(鑑賞中国の古典5、角川書店、1988)

論文

●「道家の「自然」」(東方書店『中国思想における身体・自然・信仰-坂出祥伸先生退休記念論集』所収,133-152,2004)
●「中国古代の宇宙論-蓋天説の解釈をめぐって-」(三重大学人文学部『人文論叢』14集,29-42, 1997)
●「荀子欲望論和等級制研究」(『孔孟荀之比較』社会科学文献出版社,275-292, 1994)
●「『老子』の尚賢思想-「道」と「天」の考察を通して-」(東方学71輯,1-17, 1986)
●「「性偽之分」と性悪説 -荀子思想の分裂と統一」(日本中国学会報 32集, 53-65, 1980)

応用分野

●古典研究に応用分野はありません。研究成果を上梓した時、それを読む人が稀に感銘を受けることはあるようですが。

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