三重大学大学院 医学系研究科
生命医学専攻 環境社会医学講座 トランスレーショナル医学科
三重大学医学部 産学連携医学研究推進機構
【専門分野、研究テーマ】
トランスレーショナル医学科
食と農と健康の関係
Norihiro Nishimura's DATA FILE 年齢:43 歳 |
トランスレーショナル医学科とはどういった分野でしょうか トランスレーショナルリサーチといって、基礎研究を臨床現場へ応用させようという取り組みは以前からあるのですが、それだけに留まらず産業界・ビジネス現場への実現を目指すということです。 今、私の研究室には、企業の経営者の方が7 名通われていますが、医学知識をもとに事業開拓をするにはどうすればいいか、一緒になって考えましょうという姿勢で行っています。 どんな学生時代をすごされましたか 大学時代はバイトをしてお金を貯めては、海外へ行きました。オセアニア方面へよく行きましたね。宿も決めずに向かうのですが、いわゆるバックパッカーというよりも、結構優雅に旅していましたね。あとは、レゲエバンドもやっていました。トランペットを吹いていたのですが、そういったライブ活動をしていました。学校では、講義を聴かずに小説を読んだりして、いい学生ではなかったですね。今自分が講義をする立場になって、そのツケが回ってきている気がしますね。( 笑) 研究者になろうとは、その頃からお考えでしたか そうですね。思っていました。ただ、私は大学院には進まなかったので学部卒なんです。それでも30 歳までに博士の学位を取ろうという目標をたてました。卒業後、まずは神戸の鉄鋼会社に就職しました。当時はバブル期で企業が多角化していまして鉄鋼会社が研究所を持っていたんですね。学部卒の自分でもこの会社なら、経歴からいって研究所に配属されて研究が続けられるに違いないと考えたんです。そこでは、主に地球環境問題、CO2 削減、汚水処理などの研究をしていまして、私は研究しながら論文を書いて、25 歳位の時、学位を取ろうとしたんですが、年齢が足りなくてだめだったんです。だから、違うテーマでまた論文を書いて30 歳までに学位を取ることが出来ました。 その後、神戸の震災などがあり、考えた末、アメリカに行く事にしました。アメリカの企業に就職して英語の世界で勝負しようとしたとき、自分にはまだ力が足りないと感じましたね。このように、40 歳くらいまでは、自分が実現しようとすることに対して感じるギャップがあって、これを全て埋めようと思って努力しました。英語もネイティブレベルになるまで勉強し、論文を書いたり、自分たちで遺伝子診断のベンチャー企業を起こしたりなど様々な経験を経て、それまでに感じたギャップは、目標どおり40 歳になって大体埋まったと思いますね。結構ねちっこく、出来るまでやるタイプなんです。新しいことをすると、負けることもありますが、それで自分に足りない部分や、程度が分かります。あとは、それを埋めるように努力するだけですね。30 歳、40 歳と長期的に自分でその都度たててきた目標はクリアできましたが、次の50 歳の目標は、誰にも言っていません。ちょっと、今はまだ言えないですね。 |