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産学官連携マガジン Yui−結−

HOME  >  産学官民連携マガジン Yui−結−  >  河田 敏勝 代表取締役

河田フェザー株式会社

創業明治24 年、現社長の河田敏勝氏で5 代目の歴史を持つ。機械化により膨大な量を扱うダウン(精製羽毛)事業と、繊細で高度な羽毛加工技術が要求される装飾羽毛部門の両方を兼ね備えた事業形態は世界にも類をみない。その高品質な羽毛洗浄・加工技術は世界標準とされるほどである。

河田 敏勝 代表取締役

品質の高い睡眠を実現させるため、研究できたらと思っています


河田 敏勝 代表取締役

経営者データファイル

Toshikatsu Kawada's DATA FI

趣味:羽毛の研究、事業の効率化、最近はサーフィン、ダイビング、ゴルフ、カヌー

愛車:Audi TT Coupe、車は4輪駆動しか乗りません

購読雑誌:Science、ダイヤモンド

三重県の中で好きな場所:自宅、暖かい間の横山展望台

座右の銘:好きこそものの上手なれ

尊敬する人:人の意見を聞く事ができ、信念を持って物事を進められ、責任感のある人

河田フェザー株式会社

明和工場 三重県多気郡明和町山大淀3255

TEL0596-55-2431

http://kwd.jp/

代々続く会社を継がれていますが、昔から経営者になろうと思われていたんですか

いいえ、全く。早稲田大学卒業後、一度一般企業に入りましたが、MBAを取るため、アメリカのコロラド州立大学へ留学しました。そのときは、睡眠4 時間で今までにないほど勉強しましたね。友達は、ヒスパニックが多かったので、今でも英語はスペインなまりです。ほとんど、遊ぶ時間はなかったのですが、日曜日の4 時間だけは皆で時間を作って、その時間は思い切り遊びました。カレーパーティーなど、よくやりましたね。

日本に戻られたきっかけは

あと半年で卒業というときに、親父から電話がかかってきて、仕事が大変な状況だから手伝ってくれと頼まれたんです。でも、帰国したときにはもう状況は改善していて、あと2 週間遅く電話したら帰ってこなくてよかったのにと、母親に言われましたよ。もし、そのとき帰国しなかったら、今でもアメリカに住んでいるでしょうね。私は日本より、アメリカのほうが性にあうんですよ。

そのまま、河田フェザーに入社されたんですね

27 歳からこの会社に入って、色んな部署を一通り経験しました。昭和の終わり頃、こちらの明和工場を従業員と手づくりで作りました。さすがに、基礎と屋根だけは業者にお願いしましたけどね。この地を選んだのは、これだけの規模を確保できるということと、一番は水です。羽毛を洗うときは、水がきれいでないといけないんです。同じ白でも全然違いますよ。

御社の強みはなんでしょう

やはり、当社でしか、出来ない加工が多いですよね。この業界は本当に、難しいんです。羽毛について、知り尽くしていないとはじき出されてしまいます。やはり、信じ合える仲間同士、長い間私と一緒に事業をしてきた各供給国の友人たちが、その地域で一番、あるいは唯一になって残って来ていますので、特別の羽毛を集める事は他社に負けないと思います。これだけの規模の生産ラインを備えているのも世界的に見ても珍しいんです。また、原料ルートもほぼ確立、安定していますから、我が社と一緒に仕事をすれば皆、ある程度は利益がでるようになっています。安売りはしないけど、他では手に入らない品質だから、無理なく売る事ができるというふうにね、そうすると皆が幸せになりますよね。

三重大学大学院で学ばれようと思ったきっかけはなんですか

知人に誘われて、面白そうだなと思って。(笑)実際、面白いですね。だから忙しいけど、大変だとは思わないよね。楽しんでやっていますよ。大学院の仲間も皆個性的なので刺激になりますね。ゆくゆくは弊社で寝具も取扱っているということもあって、顧客である寝具店が、品質の高い睡眠という現代人に本当に要求されているものを、販売できるようになってほしいと思います。そのために睡眠について研究できたらと思っています。

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